当然のことながら、カラカスの会合は次回の会議へと持ち越し、審議を続行するということだけ取り決めて、行き詰まったまま終わりました。
第3次海洋法会議はひき続きニューヨークとジュネーブの間を往復しながら、その後も14回以上会議がとり行われたのです。
その作業は時閲ばかりかかる骨折り仕事で、討議の内容を立案するにもまず、「個別交渉記録」を「個別交渉記録改訂版」に、それから「非公式複合交渉記録」を「非公式複合交渉記録改訂版」にしていきました。
それが延々と続き、果てはその討議に参加している者と法律家以外、誰も何が話し合われていようがどうでもよくなってしまっていました。
しかし回を重ねるごとに、少しずつではありましたが、着実に総意がまとまるようになり、1980年、とうとう深海域採鉱の討議は答えを出したのです。
それは、2つの採鉱システムを並行させることで選択肢をもたせ、開発途上国も先進国も、平等に深海への権利が保証されていました。
このやり方が実際に機能するかどうか、というのは誰しもが考えることだが、それはそんなに重大なことではありませんでした。
重要なのは、深海の開発で、このとき初めて全員の意見が一致したことでした。
第3次海洋法会議はひき続きニューヨークとジュネーブの間を往復しながら、その後も14回以上会議がとり行われたのです。
その作業は時閲ばかりかかる骨折り仕事で、討議の内容を立案するにもまず、「個別交渉記録」を「個別交渉記録改訂版」に、それから「非公式複合交渉記録」を「非公式複合交渉記録改訂版」にしていきました。
それが延々と続き、果てはその討議に参加している者と法律家以外、誰も何が話し合われていようがどうでもよくなってしまっていました。
しかし回を重ねるごとに、少しずつではありましたが、着実に総意がまとまるようになり、1980年、とうとう深海域採鉱の討議は答えを出したのです。
それは、2つの採鉱システムを並行させることで選択肢をもたせ、開発途上国も先進国も、平等に深海への権利が保証されていました。
このやり方が実際に機能するかどうか、というのは誰しもが考えることだが、それはそんなに重大なことではありませんでした。
重要なのは、深海の開発で、このとき初めて全員の意見が一致したことでした。