1950年の減税は、朝鮮戦争の物資調達とあいまって、日本を停滞状態から引上げ、政府の歳入を増加させました。
しかし石橋が1954年末に通産省に復帰した時には、経済は1年におよぶ景気後退の苦境にありました。
鳩山内閣の通産大臣として石橋は、戦時中壊滅状態にあった日本の鉄鋼業界の復活を熱心に主張したこと・・・
そして、一部アメリカ人によって押付けられた日本経済の解決策を強固に退けたことでよく知られています。
しかし通産省時代の石橋のユニークで決定的な貢献は、その後の20年聞にわたる経済の高度成長を始動させることになった広範な新しい政策の輪郭を作りあげたことです。
通産次官で知性派の指導者平井富三郎は、
「石橋氏は他の立案者全員が見逃していた理論の系統化に貢献した」
・・・と言っています。
その名の示すように国際通商と産業の所管機関として、通商産業省とその前身の機関は、その援助と指導による輸出主導型成長を望ましいものと考えていました。
しかし石橋は輸出の成功の鍵は政府の助成金、保証あるいはその他の海外向け振興手段ではなく、規模の経済性を図り国内経済での経験を積むことによって低コストの生産者の地位を確立することだと主張しました。