ベルリンならではの雑然とはしているが活気ある景観がもたらされました。
先行していたパリ、ロンドン、ウィーンと比較したとき、国家施設の巨大さは、明らかに他の都市を圧倒します。
19世紀にありながら、他国とは比較にならぬほど強力だった中央集権体制が誇大妄想を惹起する都市空間をもたらしたのです。
ウンター・デン・リンデンの通りを歩くとき、わたしでさえ気分の高揚を感じるのですから・・・
当時のベルリン市民がそこに誇りを抱かなかったはずがありません。
ペルガモン博物館の膨大なコレクションを前にしたとき、ドイツ人なら昇り行く国威に胸を熱くしたでしょう。
それは、パリなどの文化都市にやっとのことで追いついた遅咲きの19世紀都市の威圧的な姿でした。
イタリア、フランスに対して、ドイツの文化的な発展はどうしても遅れを取りがちでした。
19世紀初めに、カール・マリア・フォン・ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」(1821年初演)が、誇るべき文化的・風土的な土壌としてドイツ全土を覆う「森」を提示しました。
職業も結婚と同じです。
自分の能力はこのていどだからこのていどの人と結婚しようという発想でなく、まず自分の興味の持てるグループを定め(例・・・同県人、会社員)、そのなかから自分の能力に合った人を選べばあとで後悔する率は少ないでしょう。
では自分の興味をどうして知るのでしょうか?
それは広く体験することです。
食わず嫌いはよくありません。
その点、小学校教育は理想的ですね。
文系、理系、体育、美術、対人関係、演劇、合宿、運動会、書道など多様な世界に触れさせてくれます。
それゆえ自分の興味が触発されるのです。
アメリカの大学院教育がそうですね。
博士課程でも小学生に対するように幅広く講義し、多読させ、多様な科目をとらせます。
それゆえ学生の興味の領域は広くなります。
興味の領域が広いということは、転職の機会が多くなるということのほかに、人を指導する立場にたった場合に面倒見がよくなります。
たとえばわたしがバレーボールに興味がないのに、バレーボール部の顧問を数年つとめました。
数年つとめましたが辞めるときに送別会の送の字もありませんでした。
・・・つまりそれほどに、わたしは面倒見が悪かったのです。
そこで転職する前に、果たして自分は能力があるかどうかを確かめるといいでしょう。
わたしは運よく社会人になる前に2週間の教育実習で自己評価できたので幸運でした。
能力の有無は実際に仕事をさせてもらうのがいちばん間違いがありません。
アメリカの教授が学生に夏休みのアルバイトをすすめる理由もそこにあります。
4年間の在学中に、4回職を体験すれば、自分の興味と能力がはっきりするだろうというのです。
次の留意点は、興味で仕事の領域を絞ってから(例・・・人間対象か、もの対象か、抽象世界対象か)、能力を考慮してレベルを選ぶ(例・・・ラインの長になるか、スタッフになるか)のがよいでしょう。
今の高校生にドロップアウトが多いのは、能力を第一の目安にして学校を選ばせるからではないでしょうか。
そのために興味のない学校に入学せざるを得ない生徒が多いからではないでしょうか?
まず興味で選び、それから能力でレベルを決めるほうが後悔する率は少ないでしょう。